生活保護の給付基準切り下げに反対する会長声明(埼玉弁護士会)

http://www.saiben.or.jp/chairman/2012/0121026_01.html

  生活保護の給付基準切り下げに反対する会長声明

1 日本国憲法は、個人の尊厳を基本理念とし(第13条)、その実現のために、すべての国民に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」である生存権を保障している(第25条)。生存権は、国民が貧困に陥っているときに国から生活保障を受ける権利であり、貧困の原因を問わず、最後は国が国民の生活を保障することを内容としている。そして、生活保護制度は、生存権の保障を具体化した最後のセーフティネットであり、その中でも、生活保護の給付基準は、憲法第25条が保障するナショナルミニマム(国民的最低限)の根幹をなし、国民が人間らしく生活するための土台である。

2 ところが、昨今、国政などの各方面において、生活保護の給付基準を切り下げる動きが活発化している。
 2012年8月10日、社会保障制度改革推進法が成立し、その附則の中で、生活保護の「給付水準の適正化」が明記され、同年8月17日に閣議決定された「平成25年度の概算要求組替え基準について」では、「生活保護の見直しをはじめとして合理化・効率化に最大限取組み、その結果を平成25年予算に反映させるなど極力圧縮化に努める」とされた。これらを受け、財務省は同年10月22日、財政制度等審議会に生活保護基準の切り下げに向けた具体的提言を行い、同審議会において、平成25年度の予算編成に向けた生活保護制度の見直しの議論が始められた。

3 (1) しかし、生活保護の給付基準の切り下げに向けたこれらの動きは、上記のとおり、日本国憲法第13条、同25条及び生活保護法の趣旨から問題視されるべきであるとともに、生活保護受給者の生活実態に照らしても、極めて重大な問題を孕んでいる。
 即ち、これまでも、生活保護受給者は、必要最低限度の生活扶助費で、食費・被服費・光熱費などをまかない、全く余裕のない状態で日常生活を送ることを余儀なくされているが、そのような中で、生活保護の給付基準が切り下げられれば、生活保護受給者の生活は、さらに苦境に追い込まれることになる。
(2) また、このような動きは、その背景にある事実の認識について、再検討を要すると言うべきである。
 即ち、このような動きの背景には、近時の生活保護利用者数と生活保護費の増加があると言われているが、それらの増加の原因は、貧困の深化・拡大と高齢化社会の急速な進行に対し、雇用保険や年金などの社会保障制度が極めて脆弱であるという日本社会の構造に求められるべきであり、このような社会の構造に目を向けることなく、生活保護の給付基準の切り下げを議論するのは、あまりにも安易かつ拙速である。
 また、生活保護受給者の増加を問題視するものもあるが、実際には、わが国の生活保護捕捉率は、平成22年4月9日付の厚生労働省の発表でさえも、所得ベースで15.3%、保有資産を考慮しても32.1%と推計されている(平成19年国民生活基礎調査に基づく)。生活保護基準未満の低所得世帯のうち約7割が生活保護を利用していないという、この生活保護の捕捉率の低さと、本年に入ってから、札幌市、さいたま市、立川市、南相馬市などで餓死・孤立死が相次いで発生している事実とは、決して無関係とは言えない。このように、現状でも生活保護の捕捉率の低さは問題であるにもかかわらず、合理化による予算圧縮の名の下に、さらに生活保護基準を切り下げ、保護受給者数を抑制するというのであれば、国は、国民の生命・生存権を守ることを事実上放棄するというに等しい。
(3) さらに、就労を前提とする最低賃金額や40年間保険料を支払った場合の国民年金額が、就労を前提としない生活保護費よりも低いのは不当であるという議論もあるが、むしろ問題なのは、最低賃金や年金が低すぎるということである。しかも、生活保護の給付基準の切り下げは、最低賃金、課税最低限度額、社会保険の自己負担額などにも影響を及ぼし、生活保護受給者を経済的に追い詰めるだけではなく、国民生活全体の貧困化に繋がるという点で問題視されるべきである。

4 埼玉弁護士会は、貧困と格差が拡大・固定化する現代社会の中で、個人の尊厳と生存権の保障という憲法の基本理念を生かし、より豊かな国民生活の実現を願う立場から、生活保護の給付基準の切り下げに反対するものである。

2012年(平成24年)10月26日
埼玉弁護士会
会長 田島 義久

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